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浄土真宗の教えとは

阿弥陀仏(あみだぶつ)のはたらきによって信心を恵まれ、念仏する人生を歩みます。この世の縁が尽きる時、浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教え導きます。

 

宗祖は

親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。

承安3年4月1日(1173年5月21日)に誕生され、9歳で出家されました。

比叡山で20年間厳しい修行に励まれましたが、さとりへの道を見いだせず山を下り、法然聖人(ほうねんしょうにん)の導きで、自分にとって専修念仏(せんじゅねんぶつ)こそが唯一の道であると気付かれました。
35歳の時には、念仏弾圧で越後(新潟県)に流罪となられましたが、その後、関東へと移られ念仏のみ教えを広められました。
晩年は、京都で『教行信証』や『和讃』などの執筆に力を注がれ、人々にみ教えを伝えられました。弘長2年11月28日(1263年1月16日)に90歳で、往生されました。

浄土真宗は「祈りなき宗教」です。私の方から祈ってすくわれるのではなく、むしろ逆に、阿弥陀仏の方から「悩み苦しむあらゆる人々をすくいたい」と願われ、そのはたらきによって私がすくわれていくところに、浄土真宗の真髄があります。

自分の生き方や考え方などの自己点検を繰り返すのが本来の仏教。

「病気が治りますように」とか「試験に合格しますように」など、自分の欲望を仏さまに押しつけるような行為は、仏教の因果(いんが)の道理(どうり)からもありえないことです。ですから、浄土真宗は自分勝手な祈りを説きません。
しかし、頭ではわかっていても、自らが大切とする者のために祈らずにはおれない不完全な存在なのです。その願わずにはおれない人の心を、阿弥陀仏は大きなお慈悲の心で包んで抱きとめてくださっているのです。
私たち人間が不完全であるということを阿弥陀仏は見通され、私たちが願うよりも先に、すでに私たちに向かってはたらきかけていてくださいます。ですから、そのはたらきをそのまま受け容れ、感謝する以外にないのです。

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